今回は、石川遼プロのキャディだった、加藤大幸(かとう・ひろゆき)さんのお話です。キャディさんというのは、いつ見ても大変やね~と思います。好きで無いとできません。お仕事何でもそうですがね。
石川遼プロのいい時を一緒にキャディをやっていた。加藤大幸さんの事について、いろいろ調査してみたいと思います。
良かったのか、悪かったのか。石川遼プロのプロキャディって加藤大幸さんだけなのか、今は誰がキャディをやっているのか。石川遼プロの歴代キャディの移り変わり、いろいろ調査してみました。
ゴルフのプロキャディのお話というのは、以前松山英樹のプロキャディ、進藤大典キャディのお話をしたときにいろいろ調査しました。
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この記事の内容です・・
■石川遼プロと加藤大幸キャディの関係とは?
❐2007年12月から、エースキャディになりました。
最初は石川遼プロのキャディは加藤大幸キャディではなかったが、石川遼プロ中学3年2007年の12月から、石川遼プロのキャディとなっています。
2007年12月の日本シリーズJTカップから、石川遼プロのキャディは加藤大幸キャディがエースキャディとなりました。
きっかけは、2007年11月ダンロップフェニックス(宮崎県)での練習ラウンドで、イアン・ポールター選手とか、中島常幸プロ、兼本貴司プロと4人での練習ラウンド中、そりゃ当時のことなので、マスコミも大勢一緒にぞろぞろと付いて回る。
そんな中、当時キャディをしていた、塘田隼也(とうだ・しゅんや)さんが、カメラマンの機材と接触、右膝裏ヒザを負傷。そのため交代として、12月の日本シリーズJTカップから加藤大幸キャディがバッグを担ぐ事になりました。
結局、この2007年11月ダンロップフェニックス(宮崎県)では、急遽ハウスキャディさんをお願いして乗り切ったようです。
加藤大幸キャディが高校生当時、石川遼プロが当時小学校3年生で、よく千葉県野田市の同じゴルフ練習場、「ゴルフサロン・セラ」(220ヤード・72打席・平日3時間¥1500打ち放題)で練習されていたようです。
当時から加藤大幸キャディもプロゴルファーを目指して練習していたため、石川勝美さん、石川遼プロのお父さんもよく知っていたそうです。
❐石川遼プロの日本ツアー優勝回数は12回(2015年6月現在)
石川遼プロの日本ツアー優勝回数は12回(2015年6月現在)、そのうちの9回は加藤大幸キャディが一緒にバッグを担いで参戦しています。こんな感じです。
❒アマチュア(15歳)
①2007/05/20 第8回マンシングウェアオープンKSBカップ(岡山県)優勝。
❒2007/11 ダンロップフェニックスで、当時キャディをしていた、塘田隼也(とうだ・しゅんや)さんがヒザを負傷。そのため交代として、12月の日本シリーズJTカップから加藤大幸キャディがバッグを担ぐ事になりました。
❒プロ転向(2008/01/10 16歳)
②2008/08/24 第74回 関西オープンゴルフ選手権(滋賀県)プロ初優勝・史上最年少・17歳1ヶ月(ハウスキャディ)
③2008/11/02 マイナビABCチャンピオンシップゴルフトーナメント優勝(兵庫県)・加藤大幸キャディ(1)
④2009/06/28 ミズノオープンよみうりクラシック優勝(兵庫県)全英オープン出場最年少獲得・加藤大幸キャディ(2)
⑤2009/08/02 サン・クロレラクラシック優勝(北海道)・加藤大幸キャディ(3)
⑥2009/09/06 フジサンケイクラシック.2009優勝(山梨県)・加藤大幸キャディ(4)
⑦2009/10/04 第40回 コカコーラ東海クラシック優勝(愛知県)・加藤大幸キャディ(5)
❒杉並学院高校卒業(2010/03/08 18歳)
⑧2010/05/02 第51回 中日クラウンズ優勝(愛知県)・加藤大幸キャディ(6)
⑨2010/09/05 フジサンケイクラシック.2010優勝(山梨県)・加藤大幸キャディ(7)
⑩2010/11/14 2010.三井住友VISA太平洋マスターズ優勝(静岡県)・加藤大幸キャディ(8)
❒未勝利(2011年 19歳)
❒佐々木孝則さん、コーチ兼キャディを数回務める
❒2012年6月全米オープン遠征、加藤大幸キャディ外される、5週間。
❒2012年7月長嶋茂雄、インビテーショナル・セガサミーカップゴルフトーナメントで、佐々木孝則さんがキャディ努めて、およそ1ヶ月半ぶりの日本での大会出場、3位タイフィニィッシュという結果を残しました。
⑪2012/11/11 2012.三井住友VISA太平洋マスターズ優勝(静岡県)・加藤大幸キャディ(9)
❒アメリカツアー本格参戦(2013/03/21)、サイモン・クラークキャディ起用。
❒未勝利(2013年 21歳)
⑫2014/07/06 長嶋茂雄インビテーショナル セガサミーカップゴルフトーナメント(北海道)、佐藤賢和キャディ。
石川遼プロがアメリカツアーに本格参戦する2013年3月21日の「アーノルドパーマー・インビテーショナル」からは、サイモン・クラークさんにエースキャディを変更しました。
なので、2007年12月から2013年3月まで、実に5年と3ヶ月その間、チョコチョコの交代もあるものの、ほぼこの関係は続きました。
2012年6月石川遼プロの全米オープン遠征時、加藤大幸キャディが外される5週間というのがあって、コレがあってこそ石川遼プロと加藤大幸キャディは強い関係になったようです。加藤大幸キャディは石川遼プロの帰国後、
「言いたいことを言い合えるようになった。ラウンド中にケンカになるんじゃないかって時もある。そういう関係になっていかないと」
というように、石川遼プロに対する接し方が変わったと言っています。そんな何でも言える関係がまた、2年ぶり、2012年11月三井住友VISA太平洋マスターズの優勝。
プロとしては10勝目、石川遼プロ国内11回目の優勝、加藤大幸キャディとの9回目の優勝となっています。
2年ぶりの優勝、この2年間はとにかく辛かったと、優勝会見中にも涙を流す石川遼プロ。腰痛を悪化させ、腰にサポーターを巻いてまで参戦する試合もあったそうです。そんな中の優勝。
「今までキャディの加藤(大幸)さんとやってきた中でも、一番大きなことを乗り越えて得た優勝」
と石川遼プロは表現して、勝利の無かった、2年間はやっぱり辛かった。二人の関係はコレを機会により強くなったんでしょうねぇ~。
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■加藤大幸キャディって、こんな感じ・・
❒加藤大幸(かとう ひろゆき)、1983年4月15日生、牡羊座(32歳)、千葉県野田市出身、埼玉栄高校・中央学院大卒(千葉県我孫子市)当然ゴルフ部。埼玉県三郷(みさと)市在住。株式会社グラファイトデザイン勤務(埼玉県秩父市)。既婚。
主な大会出場成績としては、
①2001年日本ジュニアゴルフ選手権 男子15歳~17歳の部 43位タイ
②2004年日本アマチュアゴルフ選手権 ベスト32
③2004年日本学生ゴルフ選手権 CUT44位タイ
など、現在は株式会社グラファイトデザイン勤務の会社員さんではありますが、どこかで聞いたような、まったくゴルフを知らない方?ではありません。
2011年(平成23年)に横山恭子さんと結婚。現在、結婚4年目。
❒横山恭子(よこやま・きょうこ)さん、1989年8月22日生、獅子座(26歳)、鹿児島県鹿屋(かのや)市出身。
横峯さくらのお父さんが主宰されている「めだかクラブ」で、9歳からゴルフを始め、2008年8月プロテスト合格されています。ツアーは未勝利。日本プロゴルフ協会に加盟する、プロゴルファーです。
加藤大幸キャディが高校生当時、石川遼プロが当時小学校3年生で、よく千葉県野田市の同じ、ゴルフ練習場「ゴルフサロン・セラ」(220ヤード・72打席・平日3時間¥1500打ち放題)で練習されていたようです。
当時から加藤大幸キャディもプロゴルファーを目指して練習していたため、石川勝美さん、石川遼プロのお父さんもよく知っていたそうです。
なので、最初は石川遼プロのキャディは加藤大幸キャディではなかったが、石川遼プロ中学3年2007年の12月から、石川遼プロのキャディとなっています。
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■石川遼プロの歴代キャディ、これまでとこれから。
❐一人目は塘田隼也さん
一人目は先ほどお話しに出てきた、塘田隼也(とうだ・しゅんや)さん。当時石川遼プロはまだ、杉並学院高校の1年生。
同じ学校の中等部のゴルフ部に所属していた、塘田隼也さんの弟さんが石川遼プロの大会出場を知って、この大会というのが「第8回 マンシングウェアKSBカップ」です。
ちょうどこの大会が岡山県の玉野市にある、東児が丘マリンヒルズゴルフクラブで5月17日から20日までの4日間で開催予定でした。
ちょうど塘田隼也さんが岡山にいたことなどから、ハナシがとんとん拍子に進み大会前の5月のゴールデンウイークに、初めて石川遼プロと塘田隼也キャディが顔合わせをして、意気投合してキャディをする事になってそうです。
そして、いきなりの初優勝。まさかの初出場、初優勝でした。その後5試合は塘田隼也さんがキャディを務めたのですが、何も無ければもしかしてこのまま塘田隼也さんがエースキャディで、石川遼プロの華々しい時代を一緒に塘田隼也キャディとして一緒に転戦したかもしれません。
ところが先ほどもお話しした、2007年11月ダンロップフェニックスで、当時キャディをしていた、塘田準也さんが練習ラウンド中右ヒザ裏を負傷。そのため交代として、12月の日本シリーズJTカップから加藤大幸キャディがバッグを担ぐ事になりました。
❐二人目は加藤大幸キャディ
二人目は、ご存じ加藤大幸キャディ、何度も言いますが2007年12月から2013年3月まで、実に5年と3ヶ月その間、チョコチョコの交代もあるものの、今となっては、石川遼プロのいちばん華々しい時代を一緒に走った、そんな感じがします。
❐三人目は佐々木孝則さん
三人目は、佐々木孝則(ささき・たかのり)さん・現在52歳。
2012年7月の「長嶋茂雄、インビテーショナル・セガサミーカップゴルフトーナメント(ザ・ノースカントリーGC・北海道)」の時に、2010年11月以降2年近くの長い間優勝から遠ざかっていた時期に、父親の石川勝美氏が加藤大幸キャディとのコンビを一度解消して、佐々木孝則さんにキャディをお願いしました。変化を求めて、不振打開策として考えたことでした。
日大ゴルフ部出身の佐々木孝則さんは、石川遼プロが小学校5年生の時からの知り合いだったそうで、石川遼プロのお父さん勝美さんの知り合いのゴルフレッスンをしていた事から、お父さんからの依頼で、石川遼プロの練習を見ることとなったようです。
最初の頃は、月に数回一緒にラウンドしながら実践的な技術を教えていたようです。小学校5年生の時から中学3年生までコーチというか、石川遼プロのスイングを見ていた方です。
さかのぼる事、2011年10月始め、お父さん勝美さんから連絡をもらい、久々に石川遼プロのスイングを見に、キャノンオープン(戸塚カントリークラブ・神奈川県横浜市)の練習日に行ったそうです。
そしてキャノンオープン、日本オープンと佐々木孝則さんをキャディとして起用して、やはりコーチというよりはアドバイザーとかカウンセラー的な感じでスイングを調整していくようなイメージがこの時期あったようです。
最終的には、2012年7月の「長嶋茂雄、インビテーショナル・セガサミーカップゴルフトーナメント(ザ・ノースカントリーGC・北海道)」で、佐々木孝則さんがキャディ努めて、およそ1ヶ月半ぶりの日本での大会出場となった石川 遼プロでしたが、初日こそ88位タイと出遅れたものの、最終日7バーディーを奪う猛チャージを見せ、3位タイフィニィッシュという結果を残しました。
❐四人目は山形綾馬さん
四人目は、山形綾馬(やまがた・りょうま)さん(23歳)です。2013年2月28日PGAツアーのホンダクラシックで、それまでガンバッテキャディやっていた、加藤大幸さんに変わってプロゴルファーで石川遼プロと同じ事務所、ケーアイ企画に所属する山形綾馬さんを起用しました。
1990年1月生まれ、2008年プロ転向、身長182センチ・体重65kg・血液型AB型。ゴルフ関係者がいう、スポーツ界では「超イケメン」ということで、キャディとは関係無いが、チョットこの時期話題となったお話です。
そもそもは、エースキャディの加藤大幸キャディが、奥さんの第1子出産のために一時帰国するための代役ということらしいです。
もしかしたら、こんなチョットしたことがことがきっかけで、加藤大幸キャディは外され、2013年3月21日の「アーノルドパーマー招待」から、その後サイモン・クラークさんに変わって行ったのかもしれません。いかがでしょうかぁ?
❐五人目は、サイモン・クラークさん
五人目は、サイモン・クラークさん、2013年3月21日の「アーノルドパーマー招待」からです。当然ですがPGAツアーの経験豊かなサイモン・クラークさんをキャディとして起用し、アメリカツアーの本格参戦に向かって体制を整えたようです。
サイモン・クラークさんと言えば、国内ツアーでプロの選手が各ホール毎の情報を知るために使っている「ヤーデージブック」、のもとは「サイモンメモ」と言われる、このサイモン・クラークさんが1990年代後半に独自開発したメモが起源となっているそうです。サイモン・クラークさんを起用したものの、結果は・・
(1)2013年1/20~8/18 全23戦 予選通過13回(56.5%)・賞金約42万ドル(約5,080万円)
・最高位HPバイロンネルソン選手権10位タイ 昨年シード権を取って本格参戦
(2)2014年(2013・10/13~2014・9/1)全24戦予選通過14回(58.3%)・賞金約165万ドル(約1億9,800万円)
・最高位
□シュライナーズホスピタルフォーチルドレンオープン2位タイ(2013.10.20)
□ISPSハンダ・ワールドカップ・オブ・ゴルフ5位タイ(2013.11.24)
□ファーマーズ・インシュランス・オープン7位タイ(2014.1.26)
□アーノルドパーマー招待8位タイ(2014.3.23)
(3)2015年(2014・10/12~2015・4/26)全14戦予選通過8回(57.1%)・賞金約27万ドル(約3,252万円)
・最高位
□フライズドットコム・オープン19位タイ(2014.10.12)
こんな感じですが、いかがでしょうかぁ~。特に素人目で見て思うのは、2012年のプエルトリコ・オープン2位もさることながら、2014年からPGAのシステムがチョット変わったこともあったけれど、全24戦の内予選通過14回、なおかつトップ10入り4回はスゴい。ここまではスゴイ。サイモン・クラークさんのそれなりの結果は出ているのでしょうか。
ここからの詳しい成績は「もう、本当に終わったのか!石川遼の2015」を、また参考にしていただければと思います。
❐六人目はニール・ウォレスさん
六人目は、ニール・ウォレスさん。先ほどのサイモン・クラークさんがお休みをとるときの代理キャディさんです。毎回、都度都度というほどは、なさそうですが、サイモン・クラークさんの信頼も厚く、2015年は「シェル ヒューストンオープン」で石川遼のキャディを務めました。
結果は残念ですが、予選落ちでした。とはいうものの、2008年にトレイバ-・イメルマン選手がマスターズで優勝したときのキャディさんですから、ただ者ではありません。
❐七人目は佐藤賢和さん
七人目は、佐藤賢和(さとう・よしかず)さんです。2014/07/06 長嶋茂雄インビテーショナル セガサミーカップゴルフトーナメント(北海道)で優勝したことなどから、2015年6月4日からの「ザ・メモリアルトーナメント(ミュアフィールドGC/オハイオ州)」から、エースキャディをサイモン・クラークさんとの2年間続いたコンビを解消し、佐藤賢和さんをエースキャディにして、2015年を乗り切ろうとしています。
佐藤賢和さんは、2013年の「タイランド選手権」で初めてコンビを組んだ事があり、先の長嶋茂雄インビテーショナル セガサミーカップゴルフトーナメントで優勝したことからいいイメージ持っているそうです。
この時期、特にパッティングで苦しむ石川遼プロが、パッティング時のラインの読み方が自分と合っているということで、佐藤賢和さんに信頼を寄せているようです。
宮里優作プロと東北福祉大では同級生で、やはり最初はプロゴルファーを目指していたが、家庭の事情などで断念、25歳の頃宮里優作プロからの誘いでキャディデビューしました。
とは言うものの、世間的には2015年末からまた、サイモンクラークさんに戻るのではないか?と言われています。いかがでしょうかぁ?
❒最新情報・・2015年から石川遼プロのバッグを担いできた佐藤賢和キャディ。2019年の今季は2月の「ISPSハンダ・ヴィック・オープン」以来のタッグでした。
今回は、佐藤賢和キャディのこんなええ話が・・
離れている間でも、テレビで試合を見ては結果を追っていた。「失礼な話かもしれないけど、子どもの成長をみているようでした。体が大きくなったのが一番だし、メンタル的な部分もいろいろやっていると思う」と驚かされた。
相棒が活躍する姿に、本音を言えば「悔しかったです」。17年の終盤に国内ツアーに復帰してから、結果が出ない時期もコンビを組んできた。「ずっと苦楽をともにして、しばらく“苦”しかともにしていないですからね」。
そんなとき、再タッグの話があったのは今年11月の「三井住友VISA太平洋マスターズ」のころ。結局「最後になっちゃいましたけど。スムーズにやれている所はありますし、サポートにすごく気を配っていると思う。さすがだなと思いますね」と石川遼プロ・・、そしてなじみのコンビが復活しました。
佐藤賢和キャディは、「僕の中では解散とは思いたくなかったし、こうやって機会をいただけて優勝することができて、冥利につきます」。
このタッグで勝利をつかむのは、2016年の「RIZAP KBCオーガスタ」以来だそうです。しっかりと抱き合って、久々に2人でつかんだ勝利をかみしめたそうです。おめでとうございます!!
❐今年の最新情報では・・
全米オープン 事前情報◇パインハースト・リゾートNo.2(米ノースカロライナ州)◇7548ヤード・パー70>
石川遼プロは、日本予選会を勝ち抜いて“世界一決定戦”に出場します。開幕2日前にコースに入ったこの日は松山英樹、清水大成プロと練習ラウンドをこなしています。
(石川遼プロと航プロ・・)
先週の日本ツアー「BMW日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ」では最終日に「63」をたたき出し、岩田寛プロとのプレーオフにもつれ込み惜敗の2位に終わったが、好感覚を得たままの米国入りです。
(石川遼プロと航プロ・・)
この本戦では弟でありプロゴルファーの航(わたる)プロにバッグを預け、きょうだい二人三脚でパインハーストNo.2の攻略に挑みます。
(石川航プロ・・です)
「全米オープン」は2年連続の出場。同地で開催された2014年大会は出場していなかったため、パインハーストでのプレーは初めてと言うことです。
これが8回目の出場で、過去最高位は11年大会の30位タイ。今回はトップ10入り、そして上位フィニッシュを目指していく事になります。
アンジュレーションがあって亀の甲羅のようなグリーンが、このコースの警戒ポイントのひとつ。さらにクラブの抜けが良くないバミューダ芝に囲まれていて、その難易度はより増しています。
と言ってはいましたが、結果予選2日目96位タイの8オーバーで予選落ちでした。残念・・
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■まとめです・・
まあこれもいろいろ調べてみるとすっごいですね!!。ざっと調べても7人以上キャディさんが変わっています。これはフツーなんでしょうかぁ??。
そんなこと無いですよね、石川遼プロだからですよね。金の力か??(笑)。ということは、プロゴルファーにとってキャディさんの力ってすごいんでしょうね!!。
松山英樹と進藤大典キャディを見ててもよくわかります。これからも機会をみて、プロゴルファーとキャディさんの関係を探って行きたいと思います。
そんなこんな言いながらコレからも松山英樹、まずはPGAツアー賞金王になるまで応援するでぇ~。乞うご期待。
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