今回も、いまちょっと気になる??畑岡奈紗(なさ)プロのお話です。畑岡奈紗プロといえば・・父!!?、ええ・・ほんまかいなぁ??なんのこっちゃ??なんかどっかで聞いたようなフレーズです。
そんな畑岡奈紗プロの父、お父さんのお話をあっちこっちから集めて見ました。
2016年10月に「日本女子オープン」国内メジャーといわれる試合で史上初のアマチュア優勝の畑岡奈紗(なさ)プロ。2017年10月1日、40年ぶりに日本女子オープンの2連覇というスゴイ事を果たした畑岡奈紗プロのお父さんのお話、徹底調査です。
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この記事の内容です・・
■いきなり、お父さんのお話です!!
そんなスゴイ畑岡奈紗プロの父、お父さんは畑岡仁一(じんいち)さんという方で、上の画像で右側の方です。茨城県笠間市にあるホームセンター「山新」にお勤めだそうです。
畑岡奈紗プロもそんなことで、2018年1月8日には、茨城県つくば市にある系列店の「山新グランステージ」でサイン&握手会を開催したようです。
(山新グランステージ、つくば市です)
そんなお話もありながらの畑岡奈紗プロの父、お父さんのお話、もうチョット詳しく徹底調査しながらやって見たいと思います。いかがでしょうかぁ??
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■畑岡奈紗プロ・・とは?
畑岡奈紗(はたおか なさ)、プロゴルファー。1999年1月13日生(19歳)、山羊座・茨城県笠間市出身。 2017年3月ルネサンス高校卒(通信制、茨城県久慈郡大子町(だいごまち))。身長158cm・体重60Kg(たぶん・・)・好きな色:水色、黄色。血液型A型。
家族は両親・妹。趣味:映画鑑賞。好きな食べ物:お母さん特製のトマトスパゲティ。
好きなアイドルは嵐の大野智。普段はディズニーランドを愛するフツーの女の子だった?そうです。
11歳から母親の影響でゴルフを始め、本格的には中学2年生からは、中島常幸プロが主宰する「ヒルズゴルフ・トミーアカデミー」に入ってそこからゴルフにのめり込んだようです。
畑岡奈紗プロの有名なお話といえば、その名前の由来のお話がよく言われます。
お父さんが、アメリカ航空宇宙局「NASA」にちなんで、「前人未到の事をするように・・」と願いを込めて名付けたとか、良く聞くお話です。アメリカでも名前を覚えやすいと評判になっているそうです。
翔洋学園高校(茨城県日立市)に通っていた高校2年の時には世界ジュニアゴルフ選手権、国体と続けて個人、団体のW優勝を成し遂げ、ナショナルチームメンバーにも選抜されています。
2016年7月「IMGA世界ジュニアゴルフ選手権(カルフォルニア)」で、日本人として初の連覇を達成しました。
世界ジュニア連覇を遂げたこの年の10月、「日本女子オープン」で国内メジャー史上初のアマチュア優勝、最年少制覇を達成すると、8日後の10月10日にプロ転向を表明しています。
コレで、畑岡奈紗プロは、宮里藍プロの記録(18歳110日)を抜き、日本人史上最年少(17歳271日)でツアー出場資格を持つ女子プロとなりました。
翌年2017年9月には、「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」でプロ初優勝を達成。
(日本女子オープン初優勝、仁一さん(父)、博美さん(母)と・・)
翌週の「日本女子オープン」で1976年、77年(昭和52年)大会を制した樋口久子プロ以来2人目となるナショナルオープン大会連覇を40年ぶりに達成しています。いかがでしょうかぁ??
(畑岡奈紗プロ、日本女子オープン連覇達成!!)
■畑岡奈紗プロといえば・・父!!?
畑岡奈紗プロの父、お父さんといえばまず思い浮かぶ有名なお話しは、畑岡奈紗プロの名前を決めた時のお話しですよね。
❒畑岡奈紗プロの名前の由来ということで・・・
いろんなところで紹介されています。
この「奈紗(なさ)」という名前の由来は、父・仁一さんが、子供の頃にアポロの月面着陸を見た事に感動して、アメリカ航空宇宙局「NASA」から考えたそうです。
「前人未到の事を成し遂げ、世界に羽ばたくように・・」と願いを込めて名付けたそうです。
もうすでにそんな感じになってきています。今年も海外で思いっきり活躍しそうです。
IMGA世界ジュニアゴルフ選手権最終日、畑岡奈紗(茨城・翔洋学園高2年)が、通算10アンダーで優勝「世界一」に輝いた。このカテゴリーの日本人優勝は2006年宮里美香以来、4人目だそうです。
❒❒改めて、父、おとうさんのお名前は・・
畑岡 仁一(じんいち)とお読みするのでしょうか?1965年(昭和40年)9月9日生まれの52歳です。
茨城県笠間市にあるホームセンター「山新」にお勤めだそうです。
「山新」は、茨城県石岡市で有名なもともと家具店だそうです。昭和51年1976年頃からホームセンター1号店「ジョイフル山新土浦店」オープンするなど、近年は大型ホームセンターのイメージです。
「家具の山新」として、7店舗茨城県や福島県に展開しています。畑岡紗菜プロの父、仁一さんは家具の買い付けのお仕事をされています。
海外出張も多いそうですが、意外とゴルフはやらないそうです。
ネットに溢れる情報によれば、畑岡紗菜プロの父、仁一さんは高校時代に走り高跳びで県大会2位になった陸上選手だったそうです。
そんな事もあって畑岡奈紗プロが中学に入った頃、陸上部を勧めたそうです。
実際に中学生の時は2年生の新人戦県大会200mで7位入賞という成績を上げています。
(平成27年関東高校ゴルフ選手権・翔洋学園2年畑岡奈紗・優勝)
❒❒❒そんな事もあってか・・・
2011年8月には、家族で韓国まで世界陸上を観戦に行ったそうです。もちろん、畑岡奈紗プロを陸上選手にしたいから・・
「陸上の素晴らしさに目覚めて欲しいんでボルトの走りを見せればと思った」
ところが、100メートル決勝でボルトがフライング失格。
「せっかくの計画がおじゃんでした。結局、娘は女親の流れに乗っていくもんなんですかね」と笑う。
というお話です。
ここで畑岡奈紗プロの父、仁一さんの言う女親の流れ??というのは何なのか、ちょっと調べて見ました。
結局、畑岡奈紗プロがゴルフを始めたきっかけというのは・・
母親の博美さんが近所の宍戸ヒルズカントリークラブで受付としてお仕事をされていて、そこに畑岡奈紗プロがいつしかついて行くようになって、畑岡奈紗プロ本人が11歳のころ、ゴルフをやりたいと言ったそうです。
小学校で野球もやってたそうで、ボールを打つのが好きだった事から共通するモノがあったそうです。
どっかの記事に畑岡奈紗プロの祖母のお話としてありました。
本格的には、中学3年になってから中島常幸プロが主宰する「ヒルズゴルフ・トミーアカデミー」に入ってそこからゴルフにのめり込んだようです。
コレが畑岡奈紗プロの父、仁一さんの言う女親の流れ??という事です。いかがでしょうかぁ??
何度もネット検索をしていると出てきます。
日本女子オープン最終日(1日、千葉・我孫子GC=6568ヤード、パー72)首位から出た畑岡奈紗(18)=森ビル=が8バーディー、1ボギーの65と伸ばし、通算20アンダーで大会2連覇を達成。
1968年から4連覇、76年から2連覇した樋口久子以来40年ぶり史上2人目の快挙となった。
そして、畑岡奈紗プロの父・仁一さんは
「3カ月前にはこんな日が来るなんて思わなかった。信じられない」
と娘の偉業に目を潤ませたそうです。米国から帰国した畑岡奈紗プロを見るたびに・・
「ひと回り体が大きくなっていた」
「大変なプレッシャーを乗り越えるだけの精神力、たくましさが米ツアーで鍛えられた。米国で寂しい思いをしながら最後までやり抜いた、そのご褒美だと思う」と涙を流した。
そんなお話しがたくさん出てきます。娘、畑岡奈紗プロを思いやる、父・仁一さんの気持ちがいろんなコメントから溢れてきます。
本当にこれからが楽しみな、畑岡奈紗プロ思いっきり活躍して欲しいと願っています。いかがでしょうかぁ??
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■畑岡奈紗プロといえば・・こんなお話もあります。
2016年、17年「日本女子オープン」で1976年、77年(昭和52年)大会を制した樋口久子プロ以来2人目となるナショナルオープン大会連覇を40年ぶりに達成しています。畑岡奈紗プロ、賞金で検索したお話です。
畑岡奈紗プロといえば・・スイング!、そのスイングのポイントといえば緩まない両ワキです。
まっすぐ、しかも遠くへボールを飛ばすためには、スイングを安定させる事が一番大切だと、畑岡奈紗プロは言います。そんなお話し続きます。
そんなお話でいちばん先に出てくるお話はコレです。2017年9月22日~24日ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント・利府ゴルフ倶楽部(宮城県)。
そのトーナメントの2日目、23日です。畑岡奈紗プロが8バーディ・ノーボギーの“64”と猛チャージ。トータル6アンダーまで伸ばし、首位タイの好位置で最終日を迎える事になりました。
そんな事に貢献した、パターのお話です。
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■まとめです・・
今回は、いまちょっと気になる??畑岡奈紗プロの父・仁一さんお話でした。
畑岡奈紗プロ、いまではメチャクチャ順調?な感じですが、2016年10月日本女子オープン優勝の8日後にプロ転向を表明。米国ツアーの出場権を懸けた最終予選会を突破し、2017年は米国を主戦場としました。
そんなアメリカは期待と希望にあふれて臨んだ新天地だったが、異なる環境や過酷な連戦に思うような結果を出せず、苦しいシーズンを強いられたそうです。
2017年4月の海外メジャー「ANAインスピレーション」の出場資格を得られなかったことをがきっかけで、米国のコースに合わせようとして持ち味のショットが乱れ始めたそうです。
そして、精神的にも追い込まれたという事です。父・仁一さんは・・
「予選落ちが続いて、負のスパイラルに陥って。受けたのは妻ですけど、電話の向こうでは嗚咽していたと…」と声を震わせた。
そんなお話もある中、畑岡奈紗プロはそれでも・・
「苦しい時期を乗り越えられたのは両親と、成績不振にもかかわらず応援してくれる人たちの支えがあったから」と感謝の言葉を述べた。
そうです。素晴らしい!!父想い、母想い、の畑岡奈紗プロです。いかがでしょうかぁ??
なんやかんやそんな事いいながら、結局、やっぱり畑岡奈紗プロは、まずはアメリカへ行くのでしょうね!!ガンバって欲しいと思います。応援宜しくお願いします。
そんなこんな言いながらコレからも・・
松山英樹、まずはPGAツアー賞金王になるまで応援するでぇ~。2018年は過去にない最多勝!!期待しています。今後ともよろしくお願いいたします
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